妻は夫に従わなければならないのですか?




質問: 妻は夫に従わなければならないのですか?

答え:
これは、結婚に関して、また日常生活の中で、とても大切なことです。神さまは創世記の中で従うことをデザインされました。罪がこの世に入る前でさえ、指導的立場という原則がありました(Iテモテ2:13)。アダムが最初に造られ、エバはアダムの「助け手」として造られました。同時に、この世の初めにはまだ罪がなかったので、人は神さま以外に従うべき権威はありませんでした。アダムとエバが神さまに背いたとき、この世に罪がはいったので、権威が必要になりました。それゆえに、神さまは地の法令を実施し、私たちに必要な保護を与えるために権威を制定されたのです。最初に、私たちは神さまに服従する必要があります。それだけが神さまに本当に従うことのできる方法です(ヤコブ1:21とヤコブ4:7)。Iコリント11:2−3には、キリストが神さまに服従されたように夫がキリストに服従するべきであると書かれています。そのあと聖書は妻は夫の手本に従って夫に服従しなければならないと言っています。キリストが神さまに服従されたことに関してのほかの箇所はマタイ26:39とヨハネ5:30にあります。

服従は、愛のあるリーダーシップに対する自然な応答です。キリストが教会を愛されたように夫が妻を愛するとき(エペソ5:25−33)、妻が夫に服従するのは自然な応答なのです。服従と訳されたギリシャ語のことば(Hupotasso:フポタッソー)は、動詞の進行形です。これは、神さまに、リーダーに、夫に服従することは一度きりの決定ではないことを意味します。これは、行動のパターンとなる、継続的な私たちの心の態度です。エペソ5章に語られている服従は、自己中心で横暴な人に、信者が一方的に従属することを言っているのではありません。聖書的な服従は、お互いと神さまとを優先させる、ふたりの霊的な信者の間のこととしてデザインされています。服従は両側通行です。服従は誉れと完成のあるべき場所です。妻が、キリストが教会を愛されたように愛されているなら、服従は難しいことではありません。エペソ5:24は「教会がキリストに従うように」と言っています。この箇所は、妻は正しく法律にかなうことすべてにおいて夫に服従するようにと言っているのです。ですから、妻は法律に逆らったり、神さまとの関係をおろそかにする義務はありません。

女性はアダムのあばら骨から造られました。アダムを支配するように頭から造られたのでも、彼に踏みつけられるために足から造られたのでもありません。彼と同等であるためにわき腹から、守られるために彼の腕の下から、愛されるために彼の心臓の近くから造られたのです。エペソ5:21の「従う」ということばは、5:22のことばと同じです。信者はキリストへの尊敬からお互いに服従しあうべきです。19−21節はすべて聖霊に満たされたことの結果です(5:18)。聖霊に満たされた信者は、賛美に満ち(5:19)、感謝にあふれ(5:20)、服従します(5:21)。そのあとパウロは、聖霊に満たされた生活についての一連の考えをたどって、22−33節においてそれを夫と妻に適用しているのです。



日本語のホームページに戻る



妻は夫に従わなければならないのですか?