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質問

人間は真の自由意志を持っていますか?

答え


自由意志の意味が、人間にその運命を左右する選択をする機会を神が与えられたというのなら、はい、人間には自由意志があると言えます。現在の世の中の罪の状態は、アダムとエバの選択に直接関連しています。 神は人間をご自分のかたちに似せて造られました。そのかたちには、選択する能力も含まれています。

しかし、自由意志とは、人間が自分のしたい放題にできるという意味ではありません。私たちの選択は、私たちの生まれながらの性質に一致したものに限られます。例えば、人は橋の上を歩いて通ることを選ぶかもしれませんし、そうしないかもしれません。彼が選択しない方法は橋の上を飛ぶことです。自然、人間は、飛ぶことはできないからです。それと同じように、人が自分を正しい者、義人とすることはできません。人間の罪の性質がその罪の責任を取り消せないのです。 だから、自由意志には人間の性質によって限られています。

限界があるからと言って、私たちの罪の責任が軽くなるというのではありません。聖書は、私たちには選択の能力があるばかりか、賢明な選択をする責任があるとはっきり言っています。旧約聖書で、神はある国民(イスラエル)を選ばれました。しかし、その国の個人個人に神への従順ということを選択する義務がありました。そして、イスラエル以外の人も神を信じ、神に従うことを選択することができたのです。(例:ルツ、ラハブ)

新約聖書においては、罪人は悔い改めて信じるようにと何度も命令されています。(マタイ3章2節;4章17節;使徒伝3章19節;第1ヨハネ3章23節)すべての悔い改めへの招きは、選択せよという招きなのです。信じよという命令には、それを聞いた人がその命令に従うか否かという選択をすることができるという意味が含まれているのです。

イエスはある未信者の人たちの問題を取り上げてこのように言われました。「それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとしません。」(ヨハネ5章40節)明らかに彼らが来たければ来ることができたのです。問題は彼らがイエスのもとへ来ることを選択しなかったということです。「人は種を蒔けばその刈り取りもあうることになります。」(ガラテヤ6章7節) 救いの外側にいる人たちには何の弁解の余地もないのです。(ローマ1章20-21節)

では、罪の性質という限界のある私たちがどうしたら、善を選ぶことができるでしょうか?それは、ただ神の恵みと力によって救いを選択することができるという意味で、自由意志が本当に‘自由’になるのです。(ヨハネ15章16節)それは人の意志に働く聖霊こそがその人を新生させて(ヨハネ1章12-13)その人に新しい性質、「真理に基く義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人」(エペソ4章24節)を与えて下さるのです。救いは神のわざです。同時に、私たちの動機、要望や行動は自由意志から出たものです。当然、私たちはそれらに関して責任を問われます。

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